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高齢期ルネッサンスと不動産業における新大陸発見

 この表題は私が新潟駅前に「高齢者全対応型マンション」と銘打って、サン・ソフィア新潟(分譲63戸、特定施設入居者生活介護45室)を建設した折り、これがたいへん好評で早期完売が確実となった平成16年1月頃から、私は「講演」というほどではありませんが、各所で新しい業態の話題の提供という立場で話をする機会を与えていただきましたが、その時、話の出だしに使用したものです。
 当時は介護業にあっては、介護保険が発足し、以後の発展が期待されていた時ですし、不動産業においては、バブル経済の崩壊から、確実な突破口の発端がまだ見えていなかった時期でした。
 そこで私が言ったことは、これからの高齢者にとって高齢期は決して老人としての諦念に縛られた老後ではなく、まばゆいほど輝きに満ちた生活期間であるということです。「まばゆいほど輝きのある」というのは、人生のどの期間よりも自由自在で豊饒であるということです。少年期は体躯をつくったり知識を吸収したりで、休むいとまもありません。青年期は社会の矛盾や人生の迷いや憂鬱に打ち勝って進まなければなりません。壮年期は、内にあっては子育て、外にあっては職を全うし、経済的に社会的に責任を担わなければなりません。その後の高齢期こそ登熟した熟成の果実を味わう期間だということです。

 ところで歴史的に見て、今日ほどこの高齢期が輝いたことはありません。およそ今までの高齢期といえば「家督」を譲り、「隠居」するといった、それこそリタイア、ドロップアウトをして、死期を待つというほどのものであると言っても過言ではありませんでした。ともかく明るくはないイメージのものでした。たとえば棄老伝説に基く「姥捨て山」といえば、高齢者が疎外されて住む場所とか、職場などでは働き甲斐のない部署のたとえとして通用されていました。
 それが今日ではどうでしょう。世界に誇るほどのわが国の資産のうちの大部分は実は高齢者が所持するとされ、現に国内外のツアー旅行客などは高齢者で占められていたり、高齢者の購買力が数値として喧伝され、ひとつの経済力として注目されるに至っています。また、高齢者が高齢期をいかに生くべきかといった、まるで私たちが青春時代に課せられた人生設問までが問われる時代となっています。(ただ、一方では少子化が進む中での高齢者の大量化は当然危惧されるところとなります。)

 しかし、ついに「文藝春秋」今年4月号には『団塊の世代「最高の十年」が始まる』と題した堺屋太一氏の論文が発表されました。(そもそも昭和22年から同24年頃までに生れた人たちを30年前に「団塊の世代」と名付けたのは堺屋太一氏でした。)ここでは『”ブーム”を創り続けた世代が新たな「富」を生む』との副題があり、堺屋氏の独特の経済的、文化的観点が語られています。そこで私が注目し、私の文章に援用したいことは、これまでの高齢者の高齢期の常識は大きく変革され、爆発的な力強さで変貌したものになるということです。詳しくは本文を読んでいただきたいのですが、後半の小見出しには「増える真可処分所得」「お金は自分のために使いなさい」とあり、次のような文章でしめくくられています。
『六十歳を迎える団塊の世代は、新しいタイプの働き手であると同時に、新しい巨大な市場でもあるのです。団塊の世代が六十代である2007年から2017年は、まさに「最高の十年」となるのです。』
 この文章は団塊の世代が定年を迎える2007年からの約10年間のことを書いているということですが、年齢の分布はなだらかな山なりの曲線をつくりますから、団塊の世代にある現象は傾向としては、一定期間と断ったとしても、それ以前にもあるし、それ以後も続くということになります。そして、私はこれを歴史的に見ても「まばゆいほどの輝きのある」期間だと表現しているのです。さらに私はこれこそ日本における「高齢期ルネッサンス」だといっています。ルネッサンスについては私が下手な説明をするよりも統一的な見解として、広辞苑のこの項を引用してみます。

 ルネサンス【Renaissanceフランス】(再生の意)十三世紀末葉から十五世紀末葉へかけてイタリアに起り、次いで全ヨーロッパに波及した芸術上および学問上の革新運動。個人の解放、自然の発見を主眼とするとともに、ギリシア・ローマの古典文化の復興を契機として、単に文学・美術に限らず広く学問・政治・宗教の方面にも清新な気運をひきおこして、神中心の中世文化から人間中心の近代文化への転換の端緒をなした。文芸復興。学芸復興。ルネッサンス。

 ここからは私流の説明をお許しください。  私は言語や歴史を専門的に学んだことはありませんが、ルネッサンスとはフランス語で再生、復興の意味のようです。そして、その源はギリシア、ローマに発するようです。さらにこの語は文芸復興、学芸復興ともくくられるようですが、その実態の主眼(本流)は芸術上、学問上の「革新運動」であるのみならず、「個人の解放」「自然の発見」であり、単に文学、美術に限らず広く、学問、政治、宗教の(あらゆる人間社会の)方面にも清新な気運(本来、持つべきものだが、その頃はまだ確固としては持っていなかった。表現されていなかった。)を引き起こして、神中心の中世文化(封建的隷属制の概念、諦念)から人間中心の近代文化(主に個人の権利が確立される民主主義、自由主義、資本主義的な概念)への転換(転機。チャンス)の端緒(出発点)をなした――とされるものだということです。
 以上のように私流の解釈を入れると、ここ(広辞苑)ではギリシア・ローマを並列していますが、やはり、ギリシアを確かな原点だというべきだと思います。なぜならば、ルネッサンスとは文芸の復興、学芸の復興とくくるよりも「人間性」の復興、回復とくくるべきだからです。
 何かの本で読んだ記憶がありますが、芸術の例えば彫刻では、ローマ時代のそれは、ギリシアのそれをよく言えば継承、悪く言えば真似たものだといえるくらい発展性がないものだと、そんなふうに書かれてありました。ギリシア彫刻の傑作として、ミロのビーナスはよく知られています。その写実性と人体の機能美の表現には人間性への感動と賛美を感じます。しかし、これより後世になるローマの彫刻に、これに匹敵するような作品はないとされています。
 ともかく、ルネッサンスで私の言わんとすることのキーワードは「人間性」の回復なのです。「人間性」の発見と発展なのです。人間性回復の究極は人間性、人間の尊厳へと続くものだということです。

 歴史的に見て今日ほど人間性が確立され、「人間の尊厳」という言葉が実感、実態となって定着した時代はありません。――と私が言えるということは、ルネッサンス発祥の原点の意義が実は近代民主主義の発生、発展と定着、そして成熟への道のりとイコールだと認識しているからです。民主主義は民生(人間のくらし。広辞苑では人民の生活。人民の生計。)の上で最高のシステムであると言えます。(これ以後にもっとよいシステムが考案されるかもしれませんがそれまでは最高のシステムです)
 この「民主主義」は英語のデモクラシーの訳語です。英語(米、英)の歴史などたいしたことはありません。必ずモトがあります。ではデモクラシーの語源はどこにあったのでしょう。それは(古代)ギリシアです。
 デモクラシーの語源はギリシア語のデイモクラティアであって、人民(デイモス)と権力(クラティア)という語が結合したものであるといいます。ともかく、私が力説していることは「三段論法」です。近代民主主義の源が実はルネッサンスにあり、ルネッサンスの発祥は古代ギリシアの民主主義とそれを醸成した風土にある。それゆえルネッサンスの(再生、復興、回復)とは古代ギリシアを起点にしているからということです。民主主義をわかりやすく証左するひとつは「普通選挙権」を持っているか持っていないかということです。「普通」選挙権といっても、現在地球上の人民の中で持っている人と持っていない人とを分けたら持っていない人の方が多いのです。日本だってこれを持ったのは、わずか60年前の昭和20年のことです。さらに調べてみると人権問題では先鋭だとされるフランスにおいてさえ、『普通選挙権に関して男性は1848(寛永1)年に認められたが、女性はそれから約100年後の1944(昭和19)年のことであった。』とされています。
 有史以来、王権が発生してから、王権という「個」の権力に反立する「衆」の権力が台頭しました。それは民主主義の進捗の歴史に重ねてみることができます。その課程はまさに血で血を洗う抗争の歴史でした。このようにして得た民主主義は個人(個性)が主体(主人公)となって形成されているものです。ですから、「人間性の尊重」や「人間の尊厳」などという言葉は成熟した民主主義なくしては言えないのです(と私は言います。また、こうも言います。軽々にして「人間の尊厳」を言う勿れ。)

 しかるに、最近の日本の介護を論ずる中で「人間性の尊重」や「人間の尊厳」などは日常茶飯事の言葉となって使われ始めています。介護広告などではそれこそ軽々にして乱発の感さえあります。しかし一面、このことは日本の介護が弱い立場にあったとされる(人権がともすれば擁護されていなかった)高齢者に対して究極の目標を持つに至ったと言うことができるわけですから、その点において実にすばらしいことだと言えます。それこそ民主主義的で個人(個性)の人権の輝ける発露であるといえます。「王侯の介護」もなんのその、すべての人が前時代的に言う王侯であって、(王侯のごとく)何の気兼ねもなく、尊重、尊厳の中で介護を受けられるということです。このことは介護が必要の人も必要としない人も、高齢期にあるすべての人が民主主義的な民度の成熟の中で得た「まばゆいほどの輝きのある」人権であり、生活であって、その転換点となっている現在が、高齢者にとってのルネッサンスだと私はいうわけです。

 次に「不動産業における新大陸発見」ということについて説明します。ルネッサンスの「三大発明」というものがあります。それは火薬と羅針盤と活版印刷であるとあげられています。
 これらによってヨーロッパの世界観は変わり、新大陸の発見は新大陸の経営に発展しました。狭いヨーロッパ地域の有力諸国は競って、海外の未発見地域(ヨーロッパ人にとって)に進出して、そこから新しい産業的価値を発掘して膨大な利益を本国にもたらしました。(ここでは、今日的にいう植民地支配とか侵略的行為とかということには言及しないで、ただ古い開発しつくされたヨーロッパの諸国が未開発地域を開拓して新商品を生み出し、自国の発展の糧にしたということに限定していっているわけです)
 ここでも、私の言わんとすることは、少子化やバブル破綻などで閉塞状態にあった不動産業界にとって、とりわけ高度成長期からの分譲住宅業――これは若年層に「子育て住宅」を販売していたわけですから、子育てが終って、用済みとなった住宅から、高齢者に適合した住宅を供給すべきで、今こそ高齢者ルネッサンス期とも呼ぶべき時宜を得たものであるから、これを新しい商品、ニーズであると考えれば、りっぱな不動産業の新しい柱(新大陸)になる部門だと提案したものでした。
高齢者は住居を変える、変えるべきだというのは、私の「高齢社会の不動産理論」なのです。

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